“世界平和村”

ドイツ国際平和村でのボランティア日記など

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ドイツ国際平和村ボランティア体験記「 渡邉久美子さん」

平和村ボランティア体験記の第三弾として
看護師の「渡邊久美子さん」を御紹介させていただきます。
以下、インタビューをさせていただきました内容を
平和村・レハビリ棟での写真とあわせて、ご紹介させていただきます。
どうぞ皆様、ぜひご覧ください。


①簡単な経歴
 地元・兵庫県の私立高校を卒業後、兵庫県立看護大学(現・兵庫県立大学)看護学部に進学し、看護師と保健師の免許を取得。県立病院の小児病棟で5年間勤務後、平和村でのボランティアを夢見て、1年間思いきってドイツへワーキングホリデー。その後めでたく?ボランティアとして活動後、僻地医療を経験したくて北海道へ半年間勤務、更にヘルプとして平和村に戻った後、子どもについてもう一度学びたくて母校の大学院に進学、小児看護学を専攻し、今年の3月に無事に修了しました。

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②平和村のインターンシップに応募した、きっかけ・理由
高校生の時に「世界ウルルン滞在記」を観たのがきっかけです。すでに看護師になって小児科で働くことを夢見ていたこともあり、漠然と「自分も看護師として子どもたちの力になれたらいいなぁ」と思いました。でも実際に小児病棟で働くようになると、仕事が楽しくて、子どもたちが可愛くていつしかその思いも消えかけていましたが、ふと「自分のやりたいことは何だろう」と思い返した時、平和村への思いを捨て切れず、更に自分の年齢を考えた時に今しかないと思い、ドイツに行くことを決めました。

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③平和村での勤務内容
 リハビリ部で1年間勤務していました。仕事内容は子どもたちのガーゼ交換や包帯交換、創部のアセスメント(情報収集・評価)、創外固定器のチェック、泌尿器系の疾患の子どもたちの場合は膀胱洗浄やカテーテルのチェック、後は薬の配薬やその準備などなど…。当時多い時で1日60~70人の子どもたちの診察を行っていました。また、子どもの付き添いで病院に行くことや夜間に子どもの急変で呼びだされることもありました。

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④平和村勤務において、日本の職場とは違って苦労したことは?
 日本でみたことのない疾患が多く、「一体この子は何の病気なんだ?」と戸惑うこともありました。レントゲンやエコーもない、医師もいない環境で、頼れるのは自分の知識と経験。当時、同じ部署で働いていたスタッフはドイツ人ばかりで、最初は気軽に相談できることもできず、悩みました。でも目の前の子どもたちの傷をみてアセスメント(情報収集・評価)することの大切さを学び、この経験から自分で判断する力を培うことができたと思っています。

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⑤とくに印象に残った子どもたちとのエピソードは?
 ボランティアスタッフの時はあまり子どもたちとゆっくり関われる時間がありませんでしたが、それでも処置が終わった後に子どもと手をつないで日本の歌をうたいながら処置室からHeim(子供たちの宿舎)に戻っていく時間は私にとってかけがいのない大切な時間でした。また、どうしても「kumiko」の「く」がうまく言えず、どうしても「とぅ」になってしまう子どものおかげで、私のあだ名はドイツ人の間でも日本人の間でも「とぅみと」になりました笑

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⑥平和村のインターン生たちとの共同生活において、愉しかった想い出
 私はプラクティカントハウス(ボランティアスタッフの宿舎)のキッチンの空間が大好きでした。みんなでその日あったことを料理を作りながら話したり、悩みを相談しあったり窓から子どもが遊ぶ姿を眺めたり…Dachzimmer(屋根裏部屋)では動画大会を繰り広げたりしていました。また、平和村で誕生日を迎えた私は、サプライズパーティーを当時の仲間が開いてくれました。それは今でも一番素晴らしい誕生日です。当時のメンバーは今でも大切な仲間です。

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⑦平和村での活動経験を踏まえての、今後の目標・計画など
 1年間のボランティア活動を終了後、「障がい」という言葉に対して違和感を抱いたことや、子どもの持つ力についてもう一度学び直したいと思い、大学院に進学して小児看護学を専攻しました。大学院での2年間は自分の築き上げてきた看護観を大きく揺るがされることも多く、想像以上につらくて厳しいものでしたが、無事に今年の3月に修了することができました。今後はプレ小児専門看護師という立場で活動することになり、小児看護の現場の看護師の皆さんと共に困難な症例をよりよい看護ケアに導けるように活動することになります。まずは、正式に小児専門看護師になることを目指してまい進していきたいと思っています。それと並行して平和村でのヘルプとしての活動も継続的にできればと思っています。
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| ドイツ平和村 | 21:54 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ドイツ国際平和村ボランティア体験記「 勝田 茜さん」

平和村ボランティア体験記の第二弾として
作業療法士の「勝田 茜さん」を御紹介させていただきます。
以下、インタビューをさせていただきました内容を
平和村・レハビリ棟での写真とあわせて、ご紹介させていただきます。
どうぞ皆様、ぜひご覧ください。


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①簡単な経歴
吉備国際大学卒(2005年3月) 広島大学大学院 修了(2007年3月)
医療法人盈進会岸和田盈進会病院 3年間勤務
ワーキングホリデーにて渡独
(この間2011年1月より8か月間 平和村で通いのボランティア)
佃整形医院と姫路獨協大学にて非常勤)半年
2012年3月より平和村にて職員。 

②平和村のボランティアに応募した、きっかけ・理由
高校生の時に世界ウルルン滞在記を見て、その存在は知っていた。
病院勤務で、退院のタイミングの難しさと作業療法の面白さを感じていた時に、
ふと、平和村を思い出し(TVでもう一度取り上げられてたので)、
『帰国に向けたリハビリ』を見たいと思ったから。

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③平和村での勤務内容(通いボランティアの時)
週4回 9時~14時30 リハビリ(作業療法のみ)

④平和村勤務において、日本の職場とは違って苦労したこと、学習できたこと
ことばと文化の違い。伝えなければ伝わらない!!
伝えたい内容に悪意がなければ、
自分の意見を言うことに遠慮はいらない。(はず。。。)
病院ではないので、医療従事者が少なく、リハビリに対しての知識や理解が少ない。
ゆえにそこ(リハビリの重要性の理解)にも働きかけなければいけないこと。
リハビリに対しての理解が得れた時の面白さ。

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⑤とくに印象に残った子供たちとのエピソードは?
帰国に対して、不安を抱えている子どもが、最後に、不満をぶちまけたこと。
「いつもリハビリ僕が最後だよね」。普段あまりにいい子だったので、
我慢させていることは分かっていたつもりだけど、甘えすぎていたと、凄く反省した。
帰国への不安が強すぎて、言葉に出てきたんだと思うと、
それほどまで、帰国へのプレッシャーが強かったのか。。。。とも。
帰国前や到着時だけでなく、普段から心の変化が読み取れるよう、
いっぱいコミュニケーションをとりたいと思った出来事でした。
まだまだ実行できていませんが。。。。

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⑥ デュッセルドルフから通いのボランティアスタッフとして生活された頃の思い出
  住み込みボランティアにはないメリットなど

完全に村を外れるので、なおかつ別の仕事をしていたので
嫌でも頭を切り替えれました。
村以外の友人もできたこと。それ故、村のことを広めることもできました。

⑦プラクティカントを終えて、正規職員となられてからの
職務内容・気持ちの変化、さらなる “やりがい”など

「責任感」を持ちたくて、職員を希望していたので、通いのボランティアスタッフの
時より、「責任」感じて働いているつもりです。
職務内容はリハビリ以外のこと(包帯交換なども含め)をするが生じた。
情報を得やすくなり、より踏み込んで関われるようになったことが
面白さにつながっているかと思う。

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⑧今後の目標・抱負など
リハビリのない地域(国)にリハビリの知識や技術を広めたい。
(ある地域や国にもより多くの人がリハビリを受けられるようにしたい。)
リハビリがあることで、
少しでも、そこに住む人の生活(人生)が楽しいものになるように。

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(↑平和村でリハビリの責任者を長く務められたクラウディアさんと
 その後任として現在活躍中の勝田茜さんの、ツーショット!)

| ドイツ平和村 | 19:04 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ドイツ国際平和村インターンシップ体験記「 中奥 みのりさん」

久しく、このブログからは離れておりましたが、
最近の平和村(特にレハビリ棟)での深刻な人手不足を解消すべく
また記事をアップさせていただくことに致しました。

ドイツ国際平和村という実直な組織、“平和村”という独特で素敵な場所、
そして、そこに集まってくる傷ついた子供たちと、それを支えるスタッフたち。
半年、1年間という長期間に渡るインターンシップでは、
日本の一般医療機関とも また違った経験や苦労・よろこびがあるようです。

非常に個性的で素敵なスタッフが流れ着く“平和村”ですが
そんなスタッフ・元スタッフの方たちにインタビューをさせていただいて
子供たちの笑顔、健気な姿、写真とあわせて御届けできれば、と思います。
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みのりさん
(写真:ドイツ国際平和村提供)

ということで、平和村インターンシップ体験記の第一弾として
作業療法士の「 中奥 みのりさん」を御紹介させていただきます。
以下、みのりさんにインタビューをさせていただきました内容です。
平和村・レハビリ棟での写真とあわせて、ご覧ください。

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(写真:ドイツ国際平和村提供)
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①簡単な経歴
4年制のリハビリの専門学校卒業後、
5年間重症心身障害者施設で作業療法士として勤務。
退職後、7ヶ月間ドイツ語留学し、
帰国後半年間、訪問リハで小児の在宅訪問リハビリを行う。

②平和村のインターンシップに応募した、きっかけ・理由
中学生のころに見たウルルンで平和村の存在を知り、
いつかはここで働いてみたいと思ったから。
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(写真:ドイツ国際平和村提供)

③平和村での勤務内容
はじめの半年はWartenzimmerで子どもの上げ下ろしと、
2ヶ月目からはVerbandで傷の処置、
リハビリの職員がいないときに時々リハビリ。
半年目以降は主にリハビリを行い、
人手が足りないときにVerbandの手伝い。

④平和村勤務において、日本の職場とは違って苦労したこと
当たり前だけど、言葉の問題。
でも次第に要求されていることが理解でき始めると、
疑問に思ったことは聞けばしっかり教えてくれる。
日本では作業療法士として働くだけだったけど、
平和村では傷の処置などもしなくてはいけない状況もあって、
知識がない分と惑うことが多かった。
けれど、違う分野を経験できたことは、傷の状態を把握できたことで、
リハビリを行う際にも活かされたと思う。

健康を取り戻すために両親や友達から離れドイツに来た子どもたちを、
どうやって痛くないようにとか、やる気を持って治療やリハビリに
気持ちを向かわせるかを試行錯誤した。
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(写真:ドイツ国際平和村提供)

⑤とくに印象に残った子供たちとのエピソードは?
帰国が決まった子どもが、
「将来結婚して、子どもが生まれたら治療してくれたお医者さんと、
病院に来てくれたボランティアさんの名前をつけて、
家族とドイツに来て、みんなにありがとうって言いに来る。」と
嬉しそうに 帰っていった子どもの顔は忘れられない。
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(写真:ドイツ国際平和村提供)


⑥平和村のインターン生たちとの共同生活において、愉しかった想い出
夜な夜な子どもたちのことを話し合ったり、
休みをあわせて、子どもたちと何して遊ぶか考えたりが一番楽しい時間でした。

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(写真:ドイツ国際平和村提供)

⑦平和村での活動経験を踏まえての、今後の目標・計画など
平和村で活動するまで、世界の国々への関心が低くて、何の知識もなかったけど、
子ども達を通してみる世界はとても美しくて、悲しくて、やりきれないものに感じた。
子どもたちに開いてもらった道が多すぎて決めきれず、
動けなくなっているのが現状だけど、
この先、どう子どもたちとかかわって行けるかを模索しつつ、
子どもたちの母国のボトムアップにかかわりたいな、
と漠然と思っている…途中です。

| ドイツ平和村 | 15:00 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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7月 訪問ボランティア報告(ドイツ国際平和村) (2013.07.31)

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写真:ドイツ国際平和村提供「平和村の待合室にて、カードめくりを愉しむ子供たち」


いつも温かい御理解・御支援を賜りまして、誠にありがとうございます。
2013年7月中の訪問ケア、お蔭さまで
計4日間に渡って延べ約50名の子供たち・職員の方たちに施術をさせていただけました。
いつも子供たちのケア活動をサポートしてくださる
平和村職員の皆さまにも御礼、申し上げます。

ドイツスクール職員Ishii
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| ドイツ平和村 | 20:13 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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平和村のチーム医療 (ドイツ国際平和村) (2013.06.30)

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写真:ドイツ国際平和村提供
彼女、アンゴラからやって来た、マリアナちゃん。
なかなか見ないほどの強烈な反応、手ごわい症状をいくつも併せ持っております。
最初から比べると大分よくなりましたが、まだまだこのままで帰郷させるのは危険です。


6月、ドイツ国際平和村での訪問ボランティア活動。

包帯交換室・リハビリ室の医療チーム職員の皆さんのご協力で、
今まで過去5年間の活動から一歩すすんだ活動を手さぐりながら始められました。

いまの平和村の医療棟は、日本の病院で勤務されてきている看護師・
理学療法士・作業療法士の方たちが常駐され、さらに日本から定期的に
熱心に往診に通ってくださっている日本人医師の方もいらっしゃり、
まさに日本人医療従事者たちが主力となってなんとか無事に活動が営まれております。

そんな医療スタッフの方たちにも御願いして、6月から新しく光輝療法の処置を
重点的にさせていただく子供たちの選考を進められました。

免疫力・内臓自体が弱ってしまって病院での処置を受けていても改善がみられない子供、
幾重にも重い病気が合併してしまっていて部分的にしか手を出せない子供など、
とくに容態・経過のおもわしくない数名を選び、治療処置を行いました。

近代医学の主流・ベースは当然ながら、素晴らしき“西洋医学”。
しかし、それをもってしても人々の苦痛・困難は溢れかえっているわけで
さらに現代医学をより完全なものに近づける為に補うのが“補完代替医療”。

平和村の患者さん、子供たちに、
より大きな健康・幸せをもたらせますよう
7月も努力させていただきます。

皆様、御協力・御指導を引き続き、宜しく御願い申し上げます。

KOHKI Deutschland e.V. 石井洋右

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写真:ドイツ国際平和村提供
平和村医療棟でのリハビリ風景。
一般にはときに苦痛も伴うはずの、子供たちの日々のリハビリ。
それを創意工夫して出来るだけ愉しい作業へと変え、篤く力強く子供たちを励まし導く。
直に見学させていただくと、すごい忍耐力と、子供らへの愛情がジンジン感じられます。
僕とは専門とする分野・手法は違うけれど、いつも良い刺激をいただけております。

| ドイツ平和村 | 20:12 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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゛サオバラー゛からの脱皮!(ドイツ国際平和村) (2013.06.04)

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(写真:ドイツ国際平和村提供)

上の写真、ドイツ平和村の待合室にあった子供向けの、ドイツ語の単語を覚えるための絵本。
右下に描かれているのは、゛Zaubererサオバラー(魔法使い)゛の絵。
なにやら怪しげな衣装を着て、ひげ面の男が手には白手袋を着用し、意味深な棒・スティックを持つ。
そして脇に描かれるは、シルクハットからヒョッコリ顔を顕わすウサギちゃん。
どうやら、これがドイツでの魔法使いのイメージなんだろうか・・・。

と、他人事のようにほほえましく眺めていたが、ふと、愕然とした。
待合室で子供達の光輝ケアをしているとき、
よく頻繁に背後・まわりで「サオバラー」とか子供が口にしている!
あれはきっと、まさか、自分のことではないのか!!!
ヒゲは無いものの、たしかに、黒髪と白手袋、棒状の器具は、この絵とも一致する!
(って、まあ、以前からよく「シャーマン」とか呼ばれてましたが・・・。)

まあ仕方ありません。
街で大人相手でも、たまにそういう反応される方もいらっしゃいますし。
光輝療法は、子供達にとっては、魔法のようにも見える治療法です。
なぜ、さほど身体に触れることもなく疼痛治療が行えるのか。
中東の子供たち、アフリカの子供たちにとって、経絡を使った医療は初めて目にするもの。

受けると確かに身体は楽になるから人気はあるけど、今までは医術としてではなく、
きっとそれこそ、魔法みたいなものとして愛されてきました。
でも先日の医療免許取得を受けて、5月からは平和村で子供たちから「それ、なに?」って訊かれても
シンプルに堂々と「日本の医学・医療だよ!」って答えられるようになりました。
こちらがなんの遠慮もなくそう言うと、臆病な子たちも安心して治療を受けられるようになりました。

平和村への訪問ボランティア活動では、今後、さらに有意義で、より効果的な治療に努力させていただきます。
現場の平和村職員の皆さま、引き続き、どうか御指導・御協力を宜しく御願い申し上げます。
読者の皆様も、引き続き、どうか平和村への御理解・御支援を宜しく御願い申し上げます。

ドイツスクール 石井洋右

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(写真:ドイツ国際平和村提供)待合室でこれから光輝治療を受ける子供

| ドイツ平和村 | 20:10 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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ケンカの素 (2013.02.28)

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写真↑:ドイツ国際平和村提供「ケンカのあとの記念撮影」

中東アインザッツが行われた、2013年2月のドイツ国際平和村。
治療を終えた子供たちが帰り、また新しく治療を必要とする子供たちがやってきた。
いつものことだが、アインザッツ前後は、平和村のスタッフ・子供たちともに落ち着かない。
たくさんの子供たちを送り出す準備、迎え入れる準備、職員の仕事は盛りだくさん。
子供たちの不安や期待、「誰が帰れて、誰が村に残るのか・・・」いろいろな想いも錯綜する。
そんな状況下、毎度のことではあるけれど、レハビリ棟の待合室でもトラブルが多かった。
普段からケンカっぱやい子はもちろんのこと、
普段はおとなしい子もギスギスと苛立っていたりした。
ケンカで一番おおいケースは、
やはりアンゴラ・アフリカ系の子供と、アフガニスタン・中東系の子供とのケンカ。
見た目、肌の色、髪質から、ノリ、文化、いろいろ違うので、ケンカのネタには困らない。
きっかけはほんのちょっとしたこと、本の取り合いや、すれ違いざまの接触など。
最初は「おまえの母ちゃん出ベソ」系の軽い悪口のやり取りから始まり
「アンゴラ(orアフガニスタン)は悪い国だ!」とかまで発展し、ついに暴力を振い合う。
「ケンカなんて、よしなさい。どの国も同じ、別に人間なんてどれも似たようなもんだろ。」と、
真っ当なことを口にしながら、せっせとケアを行いました。
やっぱりケンカばっかりする子、すぐ怒る子供は(大人でも)、東西両医学的に病んでます。
分かりやすい兆候としては、背中(脊柱起立筋群)のコリとか、頭部のコリ・鬱滞、
エネルギー不足、便秘の子なんかも多いです。
カラダの抱える“イライラ”の素を解消してあげることで、いちいち腹を立てたり、
わざわざ面倒なケンカなんてしたくなくなるように、とできる限りのケアを行いました。

あの子供たちが「21世紀にとうとう実現する世界平和」、を担う大人たちに
なってくれると信じて、また3月もケア頑張ります。

ドイツスクール Ishii

| ドイツ平和村 | 20:09 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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